失神体験
1/20(月)のおはなし
この日は、朝から体調が悪かったけど、雑誌の締切の日なので休むわけにもいかず、出社することに。
山手線のドア際に立ってたんだけど、だんだんと吐き気をもよおし、目まいがしてきて、
「わ~困った、これじゃ仕事にならない。もうすぐ駅だしどうにかしなくては」
なんて思っていたら、
。。。。。。。。。。
耳元で
「大丈夫ですか」
(ん?)
「大丈夫ですか?」
と大きな声がするのに気づき目を開けると、、
真上に男性の顔が視界いっぱいに広がっていたのでした。
まるで、映画というかアニメのワンシーンみたいに。
朦朧としつつも咄嗟に何が起きたのか判ったわたしは、
とにかく電車を止めてはいけないと思い
「すみません」
といいながら、ホームにヨロヨロととびだして、
正に藁をもすがる気持ちで
何故か自動販売機と空き缶入れの隙間に逃げ込んで、そこでもう一回意識が途切れる。
。。。。。。。。。。。。
駅員さんは来なかったので、たぶん長くても1分位だと思うけど、意識が戻ると
わたしは、
右手で空き缶入れの丸い穴をつかみ、
左手は白い自動販売機に爪を立てるようにしがみつくようにして座り込んでいました。
。。。。。。。。
締め切りの日には、這ってでも出社しなくてはいけない
というのが鉄則。
とにかく、フラフラしながらも出社。
でも、小一時間ぐらいしたら、仕事ができるほどに回復。
今は、ちょっと疲れているけど、大丈夫です。
「万国の労働者よ、団結せよ」 と書かれている本を読了しました 。
《 共 産 主 義 は 民 主 》
《 こ れ か ら 世 の 中 は ど う な る? 》
《 意 外 に 思 っ た 》
《 結 論 》
アーリーバード
昼休み、何気に父の名前を検索したら、こんなものがヒットしてビックリ。
父がテレビ局に勤めていた時代に書いたリポートです。
ネットってすごいというか何というか。。。。
その昔、父が勤務していたテレビ局は年末年始になると「いく年、くる年」という特番を組み、「アーリーバード」というユーロの衛星を使って、当時としては珍しくも世界の主要都市を結んでの同時生中継を放映していました。
この父のリポートに出てくる「アーリーバード」という名前で
「あ〜、「いく年、くる年」のリポートなのね、、、」
と判りました。
あの頃、お正月明けに海外から帰ってきた父は楽しそうに
『「アーリーバード」がどうのこうの』
と、小さなわたしに、何かにつけて話しかけてきました。
お話の内容は全く解りませんでしたが、子供ながらに、
「きっと良いお仕事ができて、うれしかったんだろうな」
と思い、何度も同じ話を聞いてあげたものです^^。
あの頃は、年末年始になると海外に行ってしまう父。
父が不在のお正月だけれど、寂しくはありませんでした。
東京の母と姉とわたしの三人で「いく年、くる年」を見ているとき、父も同じ画面を、真剣に見ているのですから。
どうか番組がうまくいきますようにと、父と遠く離れていても、祈るような思いで心をひとつにすることができました。
画面には映っていないけど、いつもそのすぐそばに父もいるんだろうなって思いながら。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/itej1954/21/2/21_2_129/_article/-char/ja/
年末・年始の総括
(1/4FaceBookに書いたものをコピペしました)
●12/28_木
実家や母の世話をしてくれる老人ホームがある八王子へ。
帰路、新宿西口の活動に遅刻しつつも参加。
そして、早めに現場を退散。
現場では、FBのお友達に遭遇(^ ^)
●12/29_金
朝遅くまでお布団の中。
お昼までのんびり。
お昼ご飯をいただいてから、新宿の病院へ。
そのまま新宿にて、活動で知りあった八王子在住のお友達と二人女子会。
二軒目はゴールデン街(^ ^)。
解散してから、帰りがけに一人で三軒目(≧∇≦)。
有楽町のいつものお店。
飲み納めとしました。
●12/30_土
昨年は、父の成年後見人がやらかした多数・多額の未払いを立替えたけれど、その明細を全体の収支と合体させる為のデータベース作り。
おかげさまで、エクセルのスキルが少しだけ上がりました。
と同時に医療費控除申請のための医療領収書を整理。
●12/31_日
母がいるホームへ。
カレンダーなどを持参。
帰宅してからは、データベース作りの続き。
●01/01_月
終日、前日の続きをしながら、録画したままのTV番組をDVDに落としまくる。
●01/02_火
お昼まで前日の続き。
それから実家にある写真を、自宅にてデータ化する作業に取りかかる。
iPadで母に見せてあげるため。
膨大な量なので、なかなか手をつける気になれなかったのです。
何ヶ月かかるのか、見当もつきません。
データ化したオリジナルは処分するつもり。
処分しないと、実家のお掃除ができないから。
●01/03_水
・実家にて
翌日のダンボール・書籍のゴミ出し。
まだまだ実家に残っている沢山の写真の一部を紙袋をいっぱいにして持ち出す。
・母のホームへ。
最初にデータ化した画像数十点を、iPadで見せてあげる。
母は恥ずかしいのか最初は嫌がっていたけど、段々と機嫌が良くなり楽しんでいる様子(^ ^)。
iPadの使い方も次第に慣れてきたようです。
少し安心しながらの帰宅途中、ホームの職員から電話。
母から伝言で
「1月下旬の通院予約をキャンセルしろ」
とのこと。
理由は色々聞かされたけれど、
『どれが本当の理由なのか不明』
●01/04_木
母をホームの事務室の電話口まで呼び出して、キャンセルの理由を問いただすことも気が引けるので、仕方なく、嫌々八王子のホームへ足を運ぶ(溜息)。
でも母は、わたしの連日の訪問を喜んでくれたことで、わたし自身の気持ちを取り直してくれた。
母の力はすごいなぁ。。。
わたしが女性として足りないものは、正にこの力だと痛感。
ちなみにキャンセルしたい理由は、
「1月は寒いし、インフルエンザの患者が集まってくる病院には行きたくない」
とのこと。
高齢になると、こういうことにも気をつかわなくてはいけないんだろうな、、と思いました。
病院だけでなく、日頃お世話になっている付添いサービスの担当者にキャンセルの電話をしなくては。(申し訳なく憂鬱なので、気持ちを整えて明日連絡することにします)。
この日は写真のデータ化だけでなく、髪をカットしたりする時間を作りたかったのに。。。
おかげさまで明日は、ボサボサの頭で初出勤をすることになる。
口には出さないと思うけど、女性社員からヒンシュクを買ってしまうだろうな(悲)。
という訳で先ほど帰宅して、今こうしてキーボードを叩いているという次第です。
////////////////////
《 成年後見人制度には、くれぐれもご注意のほどを! 》
亡き父の成年後見人には、未払いの他にも色々とやらかされ、大変な思いを強いられました。
ほぼ全権を委任する後見人制度は、後見人が良い人ならば、任せて安心&とても助かるけど、、、、
悪い人だと やりたい放題のことができてしまいます。
そして後見人を指名した家裁にクレームしても、ほとんど動いてくれません。
家裁の担当官の対応ぶりは、安倍をかばって国税庁官に出世した佐川とおんなじ!
数ヶ月間にわたり家裁や後見人とやりあった末、たった一通の詫び状が届いただけで、ペナルティーは全く無しでした。
要注意な制度だと思います。
差別とは何?_富岡八幡宮の事件に思うこと
どんな家でも、今存在するのは祖先がいたからこそ。
ですから祖先を尊ぶ気持ちは大切だと思いますが、だからといって、その思いが家柄により貴賎があるという思想は間違っていると思います。
血筋を尊重するという思想は、
『絶対的に自分が秀でているという価値観を作りたい欲望に、悪用されやすいのでは』
と思っています。
そういう思想であれば、他の血筋を排除でき、無条件で自分だけが君臨できますからね。
わたしは差別という言葉の定義について、こんな仮説をたてています。
・・・・・・・・・
『本人の努力ではどうすることもできないことについて、他人を蔑むこと』
たとえばLGBT、肌の色など、民族、性別、血筋など。
・・・・・・・・・・
これを逆手にとれば、自分が絶対的に優位に立てます。
たとえば、
「わたしの家は血筋がよい」
という理由だけで、どんなボンクラな人でも無条件で人の上に君臨できる訳ですよ。
だからわたしは、家柄をことさらデフォルメして威張っている人が嫌いなんです。
あるいは、他人の血筋を嫉妬して、理由もなくその人に挑んだリいじめようとする人も嫌いです。
・・・・・・・・・・・
血筋を過分に尊ぶ思想は、差別意識の原点なのかもしれない
・・・・・・・・・・・
と思っています。
サンタさんの思い出です。
小学校2年生のクリスマスだったと思います。
つまり昭和38年のクリスマスですね。
まだ、サンタさんを信じていたわたしは、イブの夕暮れ時、外遊びに疲れ、ぼんやりと線路に沿った道を行き来する人や自動車を、少し高いところから眺めていました。
と、そのとき大きなトラックが、サンタさんの服を着た沢山の男性を むき出しの荷台に乗せて、目の前をゆっくりと通り過ぎていったのです!!!
・サンタさんはひとりのはず。
・サンタさんは太っていて
・欧米(アメリカ人)のおじいさんで
・おひげも髪の毛も白いはず。
荷台に乗っていた、沢山のサンタさんは、、、、
・日本人!!!
・髪の毛は黒く、ひげもない、
・おじいさんじゃない、
・みんな痩せている
ショックでした。。。。。
//////////////////
そのあと、家に急いで帰り、母を追求したのです。
こういう重大!なことは父に質問したかったのですが、あいにく父はまだ帰宅していなかったので。。。
『たった今、外でこんなものを見てしまった、あれは何だ!?(サンタさんなんか居ないじゃないか!)』
と。
母の答えをはっきりとは憶えていません。
憶えていない訳は、たぶん母の答えがあいまいだったからなのでは?と思っています。
でもたしかこんな感じだったはずです。
「あれは、人間がサンタさんの格好を真似しているだけだ」
「本物のサンタさんはあなたの心の中にいる」
4年ぶりに自動車を運転しました
この日、弘美ちゃんと母の入院のサポートのためにレンタカーを借りて、おそらく4年ぶりくらいだと思うけれど、ハンドルを握ることに。。。。
小さなスクーターばっかり乗っていたわたしには、久しぶりの自動車の運転がすごく快適に思え、新鮮な驚きでした。
/////////////////////
二輪車って、乗る前には必ず面倒な「儀式」をしなくてはいけません
・ジャケットを着たり、
・ヘルメットを被ったり、
・音楽を聞きたければ、必ずヘルメットを被る前に 、iPhone
のイアフォンを耳につけなくてはいけないし、
・グローブをしたり、、、
もちろん乗り終えたら、同様の真逆の「儀式」を行わなくてはいけません。これが、結構鬱陶しいんです。
自動車の場合は、
・「儀式」は不要、
・スクーターみたいにガタピシ飛び跳ねず、滑るように走る、
・雨にも濡れない、
・暑くも寒くもない。。
・止まっているときも倒れない、
・音楽を聴くために、耳にイアフォンをねじ込む必要もない。。。
一言で言うと、スクーターを運転するときに伴う;
「緊張感=悲壮感」
が不要なんですよね(笑)。
当たり前なことだけど、自動車の「快適さ」に「ありがたみ」を感じた気分でした。