差別とは何?_富岡八幡宮の事件に思うこと

どんな家でも、今存在するのは祖先がいたからこそ。
ですから祖先を尊ぶ気持ちは大切だと思いますが、だからといって、その思いが家柄により貴賎があるという思想は間違っていると思います。
血筋を尊重するという思想は、
『絶対的に自分が秀でているという価値観を作りたい欲望に、悪用されやすいのでは』
と思っています。
そういう思想であれば、他の血筋を排除でき、無条件で自分だけが君臨できますからね。
わたしは差別という言葉の定義について、こんな仮説をたてています。
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『本人の努力ではどうすることもできないことについて、他人を蔑むこと』
たとえばLGBT、肌の色など、民族、性別、血筋など。
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これを逆手にとれば、自分が絶対的に優位に立てます。
たとえば、
「わたしの家は血筋がよい」
という理由だけで、どんなボンクラな人でも無条件で人の上に君臨できる訳ですよ。
だからわたしは、家柄をことさらデフォルメして威張っている人が嫌いなんです。
あるいは、他人の血筋を嫉妬して、理由もなくその人に挑んだリいじめようとする人も嫌いです。
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血筋を過分に尊ぶ思想は、差別意識の原点なのかもしれない
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と思っています。